【メタエンジニアの戯言】コンピュータに使われないために
2023.09.08松林弘治の連載コラム
2022年はAIの世界にとって、とてつもないブレークスルーというか、目に見えて成果が実感できるものが次々発表された、記念すべき年になったのかもしれません。2020年の GPT-3 も衝撃的でしたが、今年に入って立て続けに陽の目を見た Midjourney や Stable Diffusion 、 Whisper などのニュースや解説記事をご覧になった方も多いでしょう。背景技術や使いこなしの情報交換はもとより、著作権や倫理も巻き込んで幅広い議論も起こり出しています。遠い未来のことだと思っていたサイバーパンクの世界が、もしかしたら、すぐそこまで来ているのかもしれない、という衝撃もあります。そしてワクワクします。
我々の日々の暮らしや業務が、まもなくある日を境に急激に変わる、なんてことは恐らくないでしょう。ですが、今ですら「なぜパソコンが動くのか」「どうしてネットワーク越しにファイルのやりとりができるのか」「大量のデータはどのように処理されているのか」など、基礎的なリクツを理解しないまま毎日メールを書き Excel や PowerPoint と格闘し、通勤時に対戦ゲームをやったり YouTube を閲覧される方が多いわけでしょうから(笑)、ウカウカしていると、ますます「なぜか分からないし全く理解できないけど、うまくいくから、まあいいか」という、それこそSF作品のテーマでありそうな、近未来の人類総痴呆化の世界も、現実のものになりかねないという危機感を持ってしまいます。
閑話休題。
先日、非エンジニアの方からある相談を受けました。曰く、いろんな人の協力を得て、手元のノートPCで AWS S3 上のファイルを Microsoft SharePoint に毎日1回定時にコピーする作業を自動化する Python スクリプトを書いたのだが、そのためにノートPCの電源を入れっぱなしにしておかないといけない。ノートPCの電源を入れっぱなしにせず、これを実現する方法はないか、と。
そもそも、非エンジニアの方が自ら、なんとかしたいと思って Python を勉強しはじめ、助けを借りながらスクリプトを自作したこと、それだけで本当にすごいことだと思います。その方の書いたスクリプトが、職業エンジニアからみたらこなれていないものであったとしても、です。
で、パソコンの電源を決められた時間にON/OFFする機能はありますから、それでも確かに彼の目的は達成できます。しかし彼は、自分のノートPC上ではない別の場所で、そういった自動実行をできないか、と考えました。
エンジニアであれば、実現のための選択肢は両手に余るほど思い付きます。しかし、彼の現時点での理解レベル、本来の業務に影響しない程度のすきま時間で実現可能な方法、そういったものを鑑み、ふたりでいろいろ調べてみることにしました。
最初は著名なローコード系ツール Microsoft Power Automate を使った実現可能性を探りましたが、種々の事情で今回の目的には無理そう(または相当面倒くさそう)という結論にたどりつきました。結局、PaaS である Heroku を使ったスクリプト開発に取り組むことになりました。
Python自体にもまだまだ慣れておらず、Herokuのアーキテクチャやクラウド実行の仕組み、gitの仕組みと使い方、APIの仕組み、など、非エンジニアにとっては新しく学ばないといけないことだらけですが、何より自身の目的遂行のために躊躇せず取り組み学んでいるのがすごいと思いました。それに「楽しい!」と仰っているのがとても好印象でした。
S3 との通信部分は無事完成し、あとは SharePoint の API との通信部分を作るだけです。そして最後に、毎日定時に自動実行するよう仕込めば、目的達成です。あともう少しなので、最後まで全力で「教えすぎず」サポートしたいと思っています。
最初の話に戻りますが、こうやって地道に試行錯誤しながら学んでいる彼であれば、このまま続けていけば、きっと今後コンピューティングの世界がどのように変わっていこうとも、「コンピュータに使われる」側に回ることはないだろうなぁ、そんな風に感じたエピソードでした。
そんな中、 Heroku の無料プランが11月28日に終了する というニュースが目に入りました。さぁ、どうしたものでしょう、ますます楽しくなってきました(笑)

松林 弘治 / リズマニング代表
大阪大学大学院基礎工学研究科博士前期過程修了、博士後期課程中退。龍谷大学理工学部助手、レッドハット、ヴァインカーブを経て2014年12月より現職。コンサルティング、カスタムシステムの開発・構築、オープンソースに関する研究開発、書籍・原稿の執筆などを行う。Vine Linuxの開発団体Project Vine 副代表(2001年〜)。写真アプリ「インスタグラム」の日本語化に貢献。鮮文大学グローバルソフトウェア学科客員教授、株式会社アーテックの社外技術顧問を歴任。デジタルハリウッド大学院講義のゲスト講師も務める。著書に「子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい」(KADOKAWA)、「プログラミングは最強のビジネススキルである」(KADOKAWA)、「シン・デジタル教育」(かんき出版)など多数。