【メタエンジニアの戯言】人間は「論理」が苦手なのか
2024.01.10松林弘治の連載コラム遅ればせながら、あけましておめでとうございます。2024年は大規模自然災害に始まり、地球や宇宙のスケールからすれば人間の作った暦など関係ない(元日だからといって活動を休止してくれるわけではない)ことを改めて認識させられ、無力感すら感じさせられました。
閑話休題、どこで見つけたのか記憶にないのですが、気がつくとこんな大学紀要論文に出会っていました。
「ゆるく」つながりたがる大学生の論理的思考力の改善方法― ソーシャル・メディアからのヒント― (2021)
SNS投稿を参考にした短文作成の反復練習を用い、学生の論理的思考力、キャリア形成、自己表現・自己分析のの向上を目指す取り組みを論じるものです。大学講義という学びの現場における取り組みですが、企業における新人研修の文脈でも参考になる点があるのでは、と感じましたので、興味のある方はぜひご覧ください。
それにしても、科学・工学系ではイロハのイであるはずの「論理」というものは、日常生活においては「リクツ(っぽい)」など否定的に捉えられてしまうことが少なくないように感じられます。また、X(旧Twitter)などSNS上での投稿でも、論理的建設的な議論がある一方で、反射的な感情の吐露(特に否定的な反発)を非常に多く目にする気がします。
やはりわれわれ人類にとって、「論理」あるいは「論理的思考」の体得、そして適切な運用は、非常に困難なものなのでしょうか。
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精神医学者のルック・チオンピ氏が1982年に出版した「感情論理」という書籍で明らかにしたように、「論理」と「感情」は相互に補完する関係にあり、「論理」は「感情」の影響を受けざるをえません。我々は正確無比なコンピュータではないのですから。
マーケティングなどビジネスの世界でも「人は論理で納得し、感情で動く」と言われているのを見たことがあります。アメリカ元大統領、リチャード・ニクソン氏の発言と言われていますが、調べてみても出典は特定できませんでした。また、上述のチオンピ氏の論考に由来しているのかは分かりません。
ともあれ、この有名な引用は確かに「そうかも」と思わされます。
デービッド・アトキンソン氏が大学時代に聴講した生物学の講義で聞いたという、「データを取ったり、エビデンスを確認したりしてロジカルに考えることが、人間のDNAの中には組み込まれていない」といったエピソードも思い出されます。
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学び・学問の世界、ビジネスの世界、日常生活、など、多くの場で大事だと言われている「ロジカルシンキング」「科学的思考」「クリティカルシンキング」「コンピュテーショナルシンキング」、どれでもいいのですが、これらの思考法の大元で共通する「論理」は、われわれ人類という生物にとってはいわば「あとづけ」である、ということなのでしょう。「論理」は時に本能や感情を律するものであり、また時に後付けで都合よく解釈するためのもの、というように。
一方で、紀元前より「経験則」に代わり「論理」で思考することを発明・発見し、それを連綿と発展させてきたのが、他ならぬわれわれ人類であることも事実です。
直感や経験則ではなく論理で考えるための道具としての数学。論理や直感、感情を巧みに表現し伝えることが可能な自然言語。論理の積み重ねで構築したシステムを実装するためのコンピュータやソフトウェア。「読み書きそろばん」ではありませんが、これら全てが我々人類の発展途上の財産であり、とても大事なものである、と強く感じます。
。。。とそんなボンヤリとしたことを考えているうちに正月休みが終わっていることに愕然としました。しかも、この原稿が公開される頃には2024年の30分の1ほどが経過している、という客観的状況と理屈は理解できるものの、「そんなに早く時が過ぎないでくれよ。。。」と悲しい気持ちになりながら、当該原稿を書いている次第です。
松林 弘治 / リズマニング代表
大阪大学大学院基礎工学研究科博士前期過程修了、博士後期課程中退。龍谷大学理工学部助手、レッドハット、ヴァインカーブを経て2014年12月より現職。コンサルティング、カスタムシステムの開発・構築、オープンソースに関する研究開発、書籍・原稿の執筆などを行う。Vine Linuxの開発団体Project Vine 副代表(2001年〜)。写真アプリ「インスタグラム」の日本語化に貢献。鮮文大学グローバルソフトウェア学科客員教授、株式会社アーテックの社外技術顧問を歴任。デジタルハリウッド大学院講義のゲスト講師も務める。著書に「子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい」(KADOKAWA)、「プログラミングは最強のビジネススキルである」(KADOKAWA)、「シン・デジタル教育」(かんき出版)など多数。