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vol.49「手順書」だって「共育」の一形態
先月(2022年3月10日)、オンラインで「手順書Night」という興味深いイベントが開催されました。当日は300人を超えるオンライン参加者が集まり、2名による20分間のセッションと1名によるLT(ライトニングトーク)で盛り上がりました。
おひとりは、手順書にまつわる失敗事例(手順書そのものの書き方・読み方というよりは、手順書が存在する保守運用現場における失敗あるある)について、もうおひとりは、ストレートに手順書作成術について、講演されました。
で、実は知人が主催者のひとりで、私も登壇を頼まれました(笑)
しかし私は、手順書を書いたり読んだり、手順書を使って作業したり、といったことを毎日のように行なっているわけではありません。つまり「手順書のプロ」ではないのです。せいぜい、非エンジニア向けに手順書のようなものを書いたことや、1年に1回しか行わない定期作業を忘れないように、自分向けの手順書のように記録しておくことくらいです。
ですので、今回は「手順書のシロート」として、「そもそも『手順書』ってなんなんだろう?」という根本的な話をすることにしてみました。今回が第1回の開催でしたが、次回以降の同イベントをにらみ、より幅広い視点からの議論や、さまざまなトピックのセッションが行われることを期待して、視野を広く視座を高めにしてトピックの種まきをする、という意図も込めました。
当日の登壇者全員のスライド、および当日寄せられた質問への回答集もご覧いただけます。
https://apcommunications.connpass.com/event/238403/presentation/
当日私が話した内容は主に2点。「手順書は、自然言語メインで書かれた、人間(作業者)に対するコーディング=自動化である」という点と、「同時に手順書は、人と人とのコミュニケーションメディアであり、同時に書く側にとっても読む側にとっても教育の手段のひとつである」という点でした。
「手順書」が、自分以外の作業者に対して、作業の内容やその意図、例外事項発生時の対応方法、などを「正確に伝え」「ミスなく遂行してもらう」ためのドキュメントであるとすれば、手順書の書き手はソフトウェアエンジニアであり、読み手はコンピュータシステムと比喩的にみなすことができます。
このことから、「ミスなく遂行してもらう」を追求すればするほど、手順書遂行の一部は(人間のようにうっかりミスをしたりしない)スクリプト等に置き換えて自動化する、その運用監視を人間が行う、といった方向に話を広げることができます。
一方、ブラックボックスをなくす、前提知識や知見、ノウハウ等を伝承していく、という意味においては、書き手にとっては「どのように書けば相手に伝わり理解してもらえるか」を考えるべきですし、読み手にとっては「言語化されドキュメント化された手順とその裏のノウハウをどう吸収するか、さらには、将来の若手にどう継承するか」といった観点から見るべきです。ここに教育的側面があります。
さらに言えば、手順書を書き手から読み手への一方通行の情報伝達手段と考えるのではなく、「ぼくたちわたしたちの手順書」を共に作り上げる、いわば「共育」的側面からみることもできるはずです。
「手順書」という、少しムズムズする用語ですが、表面的な文書作成術、読解術ととらえるのではなく、人と人の間での情報伝達メディアであると考えると、チームマネジメントやチーム内コミュニケーション論にもつながるのでは、と考えるのです。
と、いろいろ書いてきましたが、一体なにを言っているんだ、私にも手順書絡みで語りたいことが山のようにある、と思われた方もいらっしゃることでしょう(笑) そんな方はぜひ、Twitter でハッシュタグ #手順書Night をウォッチしていただき、次回の開催が決まったときに、LT登壇で思いの丈をぶちまけてください。あ、私は主催者の回し者ではありません(笑) 皆さんが日々どのように手順書に向き合い、どのように工夫されているか、を広く知りたいと思ったのです。守秘義務に違反しない範囲内で「共有知」が増えることはいいことですからね。
新年度を迎え、私の関わる開発現場でも、新しいメンバを迎え入れたり、新しいプロジェクトが動き出そうとしています。現場や職場での「共育」が促進される、そんな「心地よく」「考え実行できる」チームであり続け変わり続けられるよう、気持ちを新たに取り組んでいきたいです。