空気を読むこと
私は研修の事業に携わる前、とある企業で何度か海外での生活を経験しました。20代のシンガポール赴任、30代でアメリカ留学、そして30代後半でのベトナム赴任などです。
今でこそ、若いうちに多くの人が体験できないことができてよかったなと感じているのですが、現地にいた当時は悪戦苦闘の連続でした。
何より困ったのが、文化・価値観の違いによる行き違いや衝突でした。
【その1:シンガポールにて】
シンガポール赴任中の話です。オフィスにはひっきりなしに来客があるのですが、受付担当ではなく、しかも連日夜遅くまでの残業続きでまったく余裕のない私が、忙しく応対していました。ところが、いつも定時で帰る現地人スタッフの皆さんはそれを見ても気にもせず、仕事をしながら子供や友人と電話で楽しそうにおしゃべりしています。
「忙しいのに来客応対は大変なんだよ」とそのスタッフに愚痴ってみたところ、「あなた、仕事が好きねぇ。定時で帰ったら?」と満面の笑顔で返される始末。「ちょっとは察してくれよ!」と、涙目になる日々をどれほど過ごしたことか。
【その2:アメリカにて】
アメリカの大学院では、日本人やアメリカ人だけでなく、アジアや南米など多種多様な人種が混在するクラスで過ごしました。チームで課題をこなす実習が多かったので、よく図書館の会議室でミーティングを行いました。
「17時までにかなりしんどい課題を仕上げないといけない。ヤバいくらいに遅れてます!とりあえず13時に集合してね。」と招集をかけました。さて、12時45分くらいに現れたのが日本人のクラスメート。55分くらいに韓国人、13時ちょうどに香港のクラスメートがやってきました。そこから5分遅れてアメリカ人、ベネズエラ人がやってきたのはなんと30分遅れです。
ようやく全員集合し、ミーティングが本格的にスタートしましたが、早々アメリカ人が課題の遅れについて名指しで批判し、しばらくの間自分の意見を一方的に言うものですから一同困り顔です。そして「後で作ったパート送るから」と言って去って行ってしまいました。ベネズエラ人のクラスメートは、会議室にはいるもののチームのディスカッションよりも友人とのチャットに夢中であまり協力的ではありません。結局、アジア勢で課題をなんとか仕上げて時間までに提出するハメになったのです。
わかるわぁ、という方いらっしゃいますでしょうか?(笑)。
この原因、異文化コミュニケーションでよく言われるコミュニケーションスタイル、ハイコンテクストとローコンテクストの違いにあります。
ローコンテクスト・・・シンプルで明快なコミュニケーション。額面通りに伝えて額面通りに捉える。明確にするためには繰り返し伝えてもよい。
ハイコンテクスト・・・繊細で含みがあるコミュニケーション。メッセージを行間で伝え、行間で受け取る。すべてを伝えず、ほのめかしたりする。
日本は、世界でもダントツの「ハイコンテクスト社会」なのだそうですね。
私は、日本にいたときはあまり自分が日本人であることを意識したことはなかったのですが、海外に出て初めて自分自身が「変わっている日本人」であることを意識せざるを得なくなりました。とりわけ日本人である私たちは、すべてを伝えなくても「雰囲気を察する」「空気を読む」ことで、多くのコミュニケーションを成立させてきたと言えるでしょう。
しかし、2021年現在の日本の状況はどうでしょうか。
リモートワークが浸透しつつあり、オフィスで隣の困った顔をした人に救いの手を差し伸べることもできないですし、逆に、いくら辛そうにしていても誰も助けてやくれません。
お互い状況を察することができないローコンテクスト時代がやってきたにも関わらず、私たちのマインドだけがハイコンテクストのまま取り残されてモヤモヤしているのではと、最近感じるようになりました。
つい先日のことです。先方に提出した書類についてチャットで「大丈夫でしたか?」と聞いたところ、「大丈夫」とだけ返事が返ってきました。あぁOKだったんだなと一安心。ところが後に判明したのですが、相手の返事の「大丈夫」は、「大丈夫。もうあなたのは必要ないから」という意味だったようなのです(日本にいてもなお涙目...)。
今後もまだまだ「会えないコミュニケーション」に耐えていかないといけません。相手を配慮してより詳しい情報を提供したり、もっと相手の気持ちに耳を傾ける傾聴をしてあげたりして、ローコンテクストにシフトしていかねば、と最近強く思いはじめた次第です。