i-Learning 株式会社アイ・ラーニング

i-Learning 株式会社アイ・ラーニング



iLL連載コラム:ATDコンファレンスから見たラーニングの潮流


第一回:デジタル化が奪うもの

ATD2018カンファレンスへの参加

ATD(Association for Talent Development)は企業人財の育成や組織のパフォーマンス向上について考える人たちが集まっている団体です。今年は75周年ということですが、戦前から職場の学びと人財育成に関する活動を続けているのは、すごいことですね。

オバマ氏の基調講演

そのATDが毎年5月にコンファレンスを開催していますが、今年は世界中から13,000人が集まり、約400のセッションに参加して議論や学びの4日間を過ごしました。日本からもこれまで最多の270人が参加しました。オバマ元大統領の登壇が影響したかもしれません。

現代は、テクノロジーの進歩で様々な仕事が自動化され、ある程度の判断までもシステムに任せることができる時代になりました。テクノロジーを学習の分野に使うことで、学習効率をあげたり、チームのパフォーマンスを向上させるなど、数多くの提案がありました。一方で進化するテクノロジーを使いこなしていくための意思決定や、価値観を確立すること、さらに人としての存在意義や目的を問うセッションもあり、多くの参加者の共感を呼びました。

喪失と獲得

スマホの地図通りに進んで起きた事故

今年のATDに参加するにあたり、私自身がテーマとしたことの一つは「喪失と獲得」でした。デジタル化の進展によるバーチャルなつながりや、仕事の自動化によって、スピードや効率など獲得するものがある反面、気づかないうちに失われていくものもあります。歩きながらスマホで場所を調べて道案内をしてもらえる反面、周りへの注意がおろそかになったりしますね。アメリカでは飲酒運転による死亡事故よりも、スマホや携帯に気を取られて起きた死亡事故の方が多くなったそうです。同じように、ラーニングの世界でも、必要な時に検索することですぐに知識を得ることができたり、自宅でもスカイプやズームで研修に参加できるなどとても便利になった反面、何か気になることがあっても、時に立ち止まってじっくり考えることがなくなったり、本当はゆっくり対話をしながらお互いを理解し合いたいのに、スケジュールが詰まっていて時間を取ることが難しくなったりしています。本来私たちの生活を豊かにするためのものであるテクノロジーの進歩が、逆に私たちの注意力を奪ったり、心のゆとりを奪おうとしたりする力として働いているようにも見えます。

ATDコンファレンスでは、「デジタル・トランスフォーメーションとヒューマニティ」という言葉があちこちで用いられ表現されていました。ヒューマン・スケールという言葉がありますが、人間の五感で把握することができる範囲のスピードや、大きさ、手触りなどのことを言います。このヒューマン・スケールに合ったものが、道具の使い心地や住居の居心地、車の乗り心地を決めるわけです。逆にヒューマン・スケールを超えると人は不安になったり、気分が悪くなったりします。今や手足の機能に代わる道具はとっくにヒューマン・スケールを超えていて、航空機の離着陸に伴う耳鳴りや、ヒューマン・スケールを超えたスピードで移動したことによる時差ボケなどは、我々が肉体を持った存在であることを思い出させます。これら人間の運動能力を極端に拡張させることによる不自然さにやっと慣れたところに、なんと脳の機能に代わるものが現れて、あっという間にヒューマン・スケールを越えようとしています。私たちが自動車や航空機のスケールに適応して、速さに関わる感覚を調整してきたように、これからはAIやIoTのスケールに合わせて、学習や思考、判断に関する態度を考え直すことが求められてきます。そこには改めて「人間とは何か」が問われ、「人とテクノロジーの新たな調和のビジョン」が描かれる必要性が出てきます。

人の集中力、考えるサイクル

ダン・ポンテフラクト氏のセッション

「ギャップに注意、私たちは思考を失っている」というセッションでは、我々の集中力がだんだん続かなくなっていて、「2000年には12秒だったのが2年後には8秒になった」と聞きました。なんと金魚は9秒だそうで、私たちの集中力は金魚に劣るようです。この集中力は現代の情報過多の社会ではどんどん貴重な資源になっていることから、特にマーケティングの世界では「アテンション・エコノミー」という言葉が使われています。あふれかえる情報群は、人の注意を自分に向けてもらいたくてお互いに競争し合っています。注意力という希少資源を奪い合うことが現代の経済をドライブしているわけです。マルチタスクで分割された画面を並行して処理したり、スマホとPCを並べて別々の仕事をすればするほど、私たちの集中力は持続しなくなります。さらに「思考のアウトソース」ということで、Siriやアレクサに頼むことも増えています。自動運転とナビが組み合わさると、まさに運転のアウトソースですね。このように忙しすぎる現代では、学習障害(ADHD)が起きやすく、職場でも1/3がストレスに悩まされています。

このセッションの講演者、ダン・ポンテフラクト氏は著名なスピーカーで、TELUSというカナダの大手電気通信事業会社のチーフ・エンビジョナーであり、組織やリーダーシップに関する著者でもあります。彼は現代の傾向である、品質よりもスピードを重視することに対して警鐘を鳴らしています。「もっとゆっくり考えること」、「行動の前にリフレクションをすること」が大切であると言います。そして現実のスピードに流されず、より良い意思決定ができるようにするための考え方のサイクルを「オープン・シンキング」と呼んでいます。それは創造性を刺激し、さらに良い判断を得るために批判的に考え、そして熟慮の上での行動をするというサイクルです。これらを「クリエィティブ・シンキング」、「クリティカル・シンキング」、「アプライド・シンキング」に基づく問いに応えていくことで、個人としても組織としてもより人間的な価値を実現することができるとしています。今年9月、『OPEN to THINK』というタイトルの本を出すそうなので具体的な内容に期待したいと思います。

情報の民主化

カンファレンス会場にて

デジタル化は人の注意力、集中力を奪う一方で、情報の民主化を急速に推し進めます。情報の氾濫とともにアクセスの自由度が高まり、個人が情報を選択し、自らの判断に活用できるようになりました。また情報へのアクセスのみならず、発信するためのスキルや資格も平等化とコモディティ化が進みます。デジタル情報社会は、膨大な情報から重要なものを選択し、評価し、それに基づいて意思決定をする自由と、デジタル・ネットワーク上での自己表現の平等化を進める一方で、自らの決定に責任を持つこと、そして自ら発信した情報が自分の人格であることを認めること求めます。デジタル化によって改めて自分が判断をするための個人としての価値観が問われるとともに、働くことの目的、仕事の意味とのつながりが求められます。世界中に8万人のオンライン受講者がいる、ブリット・アンドレアッタ氏は、「これまでになく人々は、仕事にお金以上のものを求めている。それは仕事の意味であり目的である。」といっています。そして意味ある仕事のモデルとして、「自分自身、仕事、そして仕事と人生のバランスの3つの要素において、その目的や意味が連携していること」の重要さを説明しています。 次回はアンドレアッタ氏の講演を中心にして、情報の民主化が進む社会における目的や意味の重要性と、それが個人の成長や組織の成果に与える影響について、考えて行きたいと思います。

アイ・ラーニングラボ 片岡 久